古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

ゲーム脳-ざわ

僕の家系はゲーム好きが多くて、僕もその例にもれずゲーム好きで、小さい頃からゲームを良くやった。度を過ぎてゲームをする事がよくあり、父親によくゲーム機を隠された。ゲームをしたくてたまらなかった僕は、父親に隠されたゲーム機を探しだしてゲームを続けた。ある時は屋根裏部屋、ある時は押入れ、そしてまたある時はタンスの底板の下などまぁ色々なところに隠されたものだった。今思えばゲーム機を探すこともゲームとして楽しんでいたのかもしれない。

僕はゲームの中でもRPGを良くやった。プレイヤーキャラクターの能力値を最大化するのが好きで、ネットや攻略本で明かされる最強の能力値を再現するのが好きだった。でも最強の能力値を再現するのはやっぱり大変でリセットやおんなじボスを何度も倒したりする苦行が付き物だった。この苦行に嫌気がさしてゲームをクリアせずやめることもまあまああった。ゲームを-ざわ楽しむ為にやってたはずなのに。

ゲームで最強の能力値を再現しようとする試みが人生にも影響を与えている事に最近気がついた。もちろん人生をリセットしたり、おんなじボスに何度も挑んだわけではない。影響が色濃く与えられるのは反省をする時だ。僕は反省をする時、現状の僕と理想の僕を比較する。例えば「今日の僕は研究はちゃんとしたとは言え携帯を弄ったり家でアニメを見たりした。でも理想の僕はそういった他事に気をそらす事なく研究に励んだ。今日の僕はダメだったな。」こんな感じである。鋭い人は気付くかもしれないけど、理想の自分には勝てないので反省の結果はいつも自己批判で終わる。自分に嫌気がさす。理想は最善だから理想なので、理想と戦えば負けるのは当たり前だ。だから今まで側から「頑張ってるね」と言われても実感がなかった。

本来の目的であるはずの楽しむが、理想を目指す姿勢によって沢山損なわれて来たんだなと理想に拘らなず生きて来た理想の自分とふとベッドの上で比較して気がついたのだった。