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古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

闘わない僕の唄を闘う僕が笑うだろう

そうです,たけもりです.

 

こちらの記事に書いたように,大学生活における僕の「幸福への戦略」を振り返ります.まずは1,2回生の頃の話です.

 

高校時代,僕は部活に勉強に学校行事に一生懸命取り組む意識高いお化けでした.

大学に入ってから思い知ったのですが,高校時代のそれらというのは目標の設定が簡単で,使命感が煽られ,同じような目標を持つ人が周りにたくさんいるという,気持ち悪いくらいに恵まれた環境があったからでした.部活で苦難を経験し,行事で楽しい思い出を作り,受験で成功した自分はもう大丈夫なんだと思っていましたので,大学では理想と現実とのギャップを引きずることとなりました.

 

退屈だったんです.僕はずっと大学に入ったら何か作品を作ろうと思っていました.そして実際に作りはじめました.しかし,充実を感じるにはほど遠い,生ぬるい取り組み方だったんです.それが退屈だったんです.

  • どうせ授業に行っても寝るだけだから,家で何か作った方が有意義だと思って授業を休む.が,結局家でだらだらして一日が終わる.
  • 何か作る時間とお金を確保するために遊びなどの予定は入れない.が,結局家でだらだらして一日が終わる.

というような,結局何もしない生活を続けていました.僕の理屈では家に籠るところまでは本気で正義なんです.学校に行ったって友達と遊んだって何も作れないんです.ただ,それでも僕は怠惰に過ごしてしまう.

理屈よりも結果です.この結果はつまり,僕が製作よりも怠惰を愛する人間であることを意味しています.僕の学部選びもミスだったことになりますし,将来は怠惰に生活できる道を模索した方が適切です.

 

しかし,僕の中の意識高いお化けがそんな怠惰を許すわけがありませんでした.僕は自分が怠惰を愛する人間であることなど知らなかったんです.時間を無駄(と僕が思っていること)に費やす人をことごとく馬鹿にしてきたんですが,僕だってそうだったんです.嗚呼,この苦しみを何とかせねばならぬ.

 

苦しさのもと,大学生活前半は怠惰を許すための戦いでした.そしてなんとなく勝ちました.諦めたのかもしれないけれど.僕は気が向いたことだけしてればいいし,何に気が向いていてもいい.僕は僕の全てを認めるし,許します.直すべきところもあるでしょう.でも,そこがいいんです.2年かけて(調子がいいときは)そう思えるようになりました.

 

気が向いたことだけしてればいいと書きましたが、そもそも人は気が向いたことしかできないでしょう.嫌々従わねばならないような状況でも,それは従わなかった場合のリスクを恐れて最善手を選んだ結果です.それが理想の選択ではないとしても,僕たちは常に,無意識にでも,最善の選択をしています.仮にそれを後悔したとて,その瞬間は後悔したくて後悔してるわけですから,常に最善手であることに変わりはありません.そのことを自覚すれば,それ以上は望みようがないでしょう.

最大の推進力を出すには,その瞬間の風向きに従うのが一番だと思います.どうせ,無理やり何かに取り組んだところで,その道で一流になれるとは思えません.一流を目指すのであればこそ,気分が重要なのではないかと思うことにしました.

これを気分至上主義と名付けましょうか.

 

そうすると次は目的至上主義の話です.

意識の高さは手段であって目的ではありません.大事なのは目的です.叶えたい目的がないのであれば意識が高い必要などありませんし,目的を叶えることが目的でないのであれば目的を持つ必要もありません.僕の人生の目的は幸福の獲得です.最大の目的たる幸福の邪魔をするのであれば,他のちっぽけな目的も意識の高さも要らないでしょう.目的的にいきましょうや.

 

意識の高い僕が怠惰な僕を笑うけれど,それでも僕は元気です。