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古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

自己愛

ざわです。髪の毛が短いと寝癖が付きやすいことに気が付きました。次から伸ばします。

 

僕は自己愛を獲得するのに長い間挫折し続けているのでその理由について考察してみようと思います。答えがまだ自分の中に浮かび上がってないので中途半端な文章になると思います。

 

自分を時間軸によって分解したとき「過去の自分」、「現在の自分」、「未来の自分」の三つの自分が存在しています。そのすべてを受容しない限り自己愛を獲得できないと私は考えています。なぜなら「現在の自分」は「過去の自分」の堆積物であるし、「未来の自分」を受容できないならそれは、堆積しつつある「現在」もしくは既に堆積している「過去」の自分に問題を感じているからです。

 

一度は自己愛の獲得に成功しかけたことがあります。その時は「現在の自分」は「過去の自分」が意識的であれ、無意識的にであれその時の最善の選択した結果であるため「現在の自分」が最高でないわけがないといった論理です。この論理は自己愛の原点を「過去の自分」に置いています。この論理は局所解に陥り得ること、自分を評価する関数が変化すること(価値観の変化)を考慮に入れてなかったため破綻していますし、何よりも「過去の自分」についての考察が甘かったです。

 

次に僕は自己愛の原点を「現在の自分」に置いて自己愛の獲得を目指しました。しかし僕は「過去の自分」の受容に失敗しています。この原因は僕があまり両親を好きでないことにあると思います。先ほど述べたように「現在の自分」を受け入れることは「現在の自分」を構成するすべての「過去の自分」を受け入れることであり、「過去の自分」は明らかに両親の影響を受けています。つまり「過去の自分」と両親は不可分なので自己愛を得るためには両親を愛さなくてはならないのです。

 

両親をなぜ愛せないかという問題は、僕と両親の価値観が大きく違うことに基づいており、一般的な話題でないのでここでは言及しません。ここで言及したいのは、自分を愛するために両親を愛さざるを得ない構造についてです。まずこの構造で両親が圧倒的に有利な立場に立っていることが気に食わないです。親がどんな人間だとしても愛さなくては自己愛が得られないのです。可能性として、自分を愛するために自分が憎んでるもの、嫌いなものを受容し愛さなくてはならないという状況が起こりうるのです。そんなこと可能なのかな?そういう清濁含めて受け入れないと自己愛は得られないのかな?

 

とまぁこんな感じのことで今悩んでいます。答えが出ずもやっとした文章でした。

時間軸で分解するのが間違ってんのかな?これからも悩んで答えが出たらまた書いてみます。

ブログ名変わりましたが特に説明する気はないです(笑)