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古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

友達

ざわです。

 

題名にもある通り友達について書こうと思います。

友達という単語が私はどうも苦手です。できるだけ知り合いやクラスメイトという単語を使うように心がけています。

この苦手感覚は恐らく、私が小学生のころ母親に「今日友達と~~して遊んで楽しかってん!!」という報告をしているときに横から姉が「まぁ向こうはお前のこと友達と思ってるか分からんけどな。」と悪意で塗り固められた横槍を刺してきたことに端を発しています。

この時に友達という関係は両者の合意上で形成されるにもかかわらず、私は合意を取っていないため、私はA君を友達と思っているのにA君は自分を友達と思っていない状況があり得ることを恥ずかしくまた恐ろしく思いました。

 

しかし最近になってどうやらそこだけが問題ではないと気が付きました。

相手が私を友達と認識したとき、私という存在が友達という概念に引き落とされ、相手がイメージする友達としての役割を私に期待するわけです。ほとんどの場合私は相手のイメージする友達領域をカバーしきれていないため、めんどくさいことになります。A君とスポーツをするのが好きなだけなのに、乗りたくもない相談に乗り、行きたくもない飲み会に行くことになるわけです。

 

このような現象は多々起こるのではないのでしょうか、恋人や家族なども一例だと思います。好きである相手を恋人と認識することで制約が生まれて不快になる。ただ血がつながっているだけなのに子供としてのロールプレイをしなければならなくなる。あるのは私と相手という関係だけなのに。。。

 

「500日のサマー」という映画にこの問題が良く描かれていました。ぜひ見てください。わたしはサマーに共感しました。