古代都市ツボクラ

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追加合格の是非

どうも,たけです.君の瞳に惨敗. 

大阪大学京都大学の昨年の入学試験問題に出題ミスがあり,採点をやり直した結果「本来合格していた人」が追加合格になったというニュースがありました.この出来事についていろいろもやもやしています.気になるのは以下の三点.

  • 出題ミスとするのか
  • フェアな採点とは
  • 追加合格の基準

 

出題ミスとするのか

今回の件は,問題の条件設定が足りず,その設定の置き方によって二通りの解答が考えられるというものでした.これははたして「解答不能」なのか.

受験者が自分で追加の仮定をおき,その仮定に基づいて解答することは可能です.また,考え得るすべての場合について解答することも可能です.それなのに何故これを「解答不能」とするのか疑問です.「解答が一つになるように設定がすべて与えられなければならない」という甘い前提は誰が決めたものなのでしょうか.

試験のルールは大学側にあるため,大学はこれを「解答不能」と見なすか「解答可能」と見なすか選択できます.大学が「不備のある問題にも対応して説得力のある解答ができる学生がほしい」と考えれば,これを「解答不能」とする必要はありません.今回これを「解答不能」と見なすということは,大学は自らの入学試験を「用意された問題設定が完璧である場合にその問題を解くことができる人を選抜する試験」であると表明する意志を少なからず含んでいると言えます.

研究や就活,仕事においては「答えが用意された問題しか解けないのはダメ」みたいな風潮があるにも関わらず,ここではそういう対応になるのかと,少しがっかりしました.少なくとも今後は入試問題の注意書きに「問題設定の情報不足により解答が一通りに定まらない場合,追加の設定条件を提示し、その条件に基づいた解答を示すこと」とでも書けばいいと思います.

 

フェアな採点とは

次に,これを「解答不能」と見なしたとして,「全員正解にする」という対応の正当性がどう説明されるのか気になりました.「全員正解にする」ということは,「その問題に時間を費やした人」に比べて「その問題に時間を費やしていない人」の方が得をするということです.これはフェアなのでしょうか.その問題に全く取り組んでいない白紙解答の人まで得点するのがフェアなわけがないように思います.かといって出題ミスによるロスがあった人をケアしないというのもフェアではない.

「そのままにする」のも「採点しなおす」のも,どのみちフェアでないのなら,「どちらの方がマシか」を考えるべきです.今回の件では「大学側が何度も見直したが気づかなかった」「受験生から問い合わせが多く寄せられたわけでもない」ようなもので,「受験生のうちその出題ミスによって時間を奪われた人」の割合が多かったとは思えません.よって,この出題ミスが受験生に与えた影響は少ないため「そのままにする」方がまだフェアであると僕は思います.何か僕の知らない重要な要因があるのかも知れませんが,もし「出題ミスがあった場合は問答無用で全員正解にする」といった風潮があるとすると,それは納得いきません.

 

追加合格の基準

入学試験にフェアでない何かが起きたとき,どういった基準で追加合格が認められるのかが気になりました.今回は採点をやり直したことによって「本来合格していた人」が出たということですが,それは「本来不合格だった人」も出ているということではないのでしょうか?「本来合格していた人は追加合格にするが,本来不合格だった人の合格を取り消すことはない」という偏った対応がどう説明されるのか気になります.対応を考えるには大きく以下の5つの考慮事項があると思います.

① 要因が大学側にあるか
② 要因が受験生側にあるか
③ 受験生全員に共通に影響を与えているか
④ どれだけ時間がたっているか
⑤ 合格者が得点基準で決まっているか

①に該当する場合,「大学が悪いんだから受験生にいいようにしろ」的な圧力がかかるような気がします.②だけ該当するの場合はそうでもないかもしれませんが,①だけ該当する場合と対応が異なるのも気持ち悪いです.
③は採点しなおすかどうかに影響します.
④はいつまでさかのぼるかという話で,今5年前の出題ミスが発覚したとして,今更追加合格にするのか?という話です.
⑤が重要です.これは「n人を合格」と定めているのか,基準点を超えていれば何人でも合格できるとしているかの違いです.手続きの中で基準点を「n位の得点」として定めていたとしても,あくまで「基準点を超えているかどうか」をルールとしている場合もあるでしょう.

例を挙げてみます.
例A:昨年の入試においてカンニングがあったことが発覚し,その人の合格が取り消された.これは[ ①× ②○ ③× ④1年 ⑤? ]となります.
例B:昨年の入試において,試験作成者が事前にある受験生一人にのみ問題の内容を教えていたことが発覚し,その学生の合格が取り消された.これは[ ①○ ②○ ③× ④1年 ⑤? ]です.

これらの場合にも「本来合格していた人」は生じて追加合格者が出るのでしょうか?
それは⑤によって変わってくると思います.あくまで基準点ベースの場合,合格者が一人減ったからといって基準点を超える受験生が増えるわけではないので,対応は不要です.しかし人数で定めていた場合,合格者が一人減った分「本来合格していた人」が生じることになります.

今回の件では[ ①○ ②× ③○ ④1年 ⑤たぶん基準点 ] となります.⑤について,「追加合格者は出るが合格取り消しがない」ということは,合格者が人数ではなく基準点で規定されていると(少し意地悪ですが)解釈できるからです.実際阪大や京大がどういった基準にしているのかは明確にはわかりませんが,その基準と今回の対応に矛盾があるとすればもやもやします.今回このような対応をしたということは,今後例Aや例Bのようなことが起きても「追加合格者は出さない」ということになりゃしませんか.

 

おわりに

ただもやもやを書き連ねました.そもそも,別に入試が「フェア」である必要はないのですが,「フェアだと思ってるならそれはフェアではないぞ」と言いたくなるもやもやです.

時と場合によりすぎるので明確に「こうすべき」と意見するのは難しいです.しかしながら,今回の「解答不能」「全員正解」「追加合格」というのは「対クレーム」てきな対応になりすぎではないか?という主張はしたい.今回の追加合格はいわば「詫び追加合格」にも見えます.この対応が「対クレーム」てきな意味で最も平和的で優しい対応であるとは思います.1年遅れででも合格がほしいという受験生の切実な気持ちもわかります.しかしながら,もしこの調子で「何らかの不備があれば追加合格者を出さなければならない」という風潮になれば,アラ探しが加速してまた一つ世の中が息苦しくなるということへの憂いもあるのです.大学はそもそも「より優れた学生がほしい」ので試験の質には言われなくても気を付けるでしょう.試験の質の低さを指摘することと,それに対する補償を求めることとは区別していきたい.