古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

意識高い系

どうも,たけです.

アルミ缶の上におるおかん

 

ものすごく漠然とした話になりますが,意識高いに越したことはないのになぜいわゆる「意識高い系」は「意識高い系」なのか.定義はあいまいなままにして,僕なりの偏見を発表したいと思います.前提として,意識低いより高い方がいいし,何もしないよりした方がいいので,バカにする気持ちはありません.ただ,揶揄される部分には揶揄される火種はあると思いますし,参考になる部分もあれば陥る罠もある気がするので,そこに注意すべく自戒のために書きます.

 

なんとなく思うのは,意識高い系の人たちは「意識が高いかどうか」で群れているように見えるということ.僕は能力の高さで勝負したい派なので,その辺は相容れないところです.

 

次に,言語体系.カタカナ語を多用するのをいじるパターンはよく見ますね.既存の日本語でうまく言えないことをカタカナで言うのは納得できるのですが,今まで日本語で言えてたでしょって言葉がカタカナで置き換わっていると違和感を覚えます.思考が言語に大きく依存することを踏まえれば,言語体系の変化は思考体系の変化と言えるかもしれません.それは成長とも取れますが,付け焼刃の浅い言葉で浅い思考してしまっている可能性もあります.自分の言語体系に変化を感じることがあれば,ちゃんと中身が伴っているか顧みるようにしたいです.

 

内輪感.自分たちでイベントを開催し,自分たちの中で競い,自分たちの中で讃えあってる感じが気になります.独自の言語体系を使うのも内輪感と言えそうです.今自分の生活がほとんど研究室しかなく狭い範囲になっているため,僕も内輪の基準に甘んじないように気をつけなくてはと思っています.

 

そもそも「意識高い系」と呼ぶのがあれですね.ツイッターで見たものの受け売りですが「意識だけ高い系」とした方が良さそうです.僕も紙一重か同じようなもんなので,「能力圧倒的に高い系」になるんだというマインドでコミットして圧倒的成長したいです.