古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

共感

どうも,たけです.

おもしろさの考察シリーズのその6です.

 

下記ツイートが強く印象に残っています.

これと同じような話をします.

腹から「すごい」「おもしろい」と思うためには「共感」が重要だと思います.上記ツイートでいうところの「"説明できる"の部分」がこれからする話の「共感」に相当しそうです.

 

例えばひと昔前はCGで作られた現実と見まがう映像に驚いていましたが,今ではCGでなんでも作れることが当たり前に思え,むしろ「CGじゃないこと」に驚くことが多いです.CGが「なんでもあり」になり共感の外に行っており,その分共感できる現実で起こることの方がアツいです.

 

人工知能が発達して人間の仕事が云々」 といった言説が流行っています.実際に仕事がどうとか人間にしかできないことがどうとかはよく知りませんが,「人間は人工知能よりも人間に共感しやすい」ことが本質的な価値としてあると思います.そのうち人工知能で色々できるようになると,そこにはもう驚きはなく,同じことでも人間がやれば驚くことになる.あるいは,今の話題だって,「人工知能がすごいことをできること」というよりも「すごいことをできる人工知能を人が作ったこと」に驚いているのかもしれません.

 

僕はものづくりの分野にいて,物理的に手に取れるようなものを対象としています.近年VRが盛り上がっていますが,僕がやってるような現実にあるものというのは,電子空間にあるものと比べて「同じ物理法則下にある」ことで人間から肉感のある共感を得られると思っており,重要なポイントの一つであると思っています.

 

一方で,機械にできるけど人には難しいことをやってのける人,例えば計算めちゃくちゃ速い人や写真のような絵を描く人に対して,「すごい」とは思いつつも「それに価値はあるのか?」と疑問に思うところもあります.「共感」に甘えていてもだめな感がある.最初に引用したツイートの話に戻ると『その"説明できる"の部分がギリギリであればあるほど感動は増す』の「ギリギリ」のところです.おもしろくありたいときには「共感」は欠かせない一方で,それはあくまで命綱にすぎません.共感に頼りすぎるとそれはもう「内輪ネタ」です.結局のところ,すごいことをしたければ「どれだけ常軌を逸するか」にこだわるべきだとしておきたい.その常軌を逸すためには「常軌」に関する共通認識が不可欠という意味で,共感が重要だということです.

 

あるいは,「それがすごい」のか「それを人がやったのがすごい」のかについても気にかけておきたいです.

 

p.s.

こうして考えていると,あるあるネタのおもしろさは「あるある」なことよりもむしろ「意外性」にあることを書いた下記記事の内容はまさしくで,よかったのでは.

closedin.hatenablog.com