古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

エゴイスト

どうも、たけもりです。

無駄なことさせられたって怒る労力すごい無駄。

 

つくづく自分はエゴイストだなぁと思うことが増えました。かつては自分を甘やかさないために構築した理屈を、最近は自分を甘やかすために使いがちです。優しい人は「そんなこと言ったらみんなエゴイストだよ」と言ってくれるかもしれませんが、僕はエゴイストなので他の人がどうとかどうでもいいです。

 

例えば自分がちょっと良いことをしたり人にやさしくした時に「まぁでもこれはたまたま自分がやりたくてやってるだけだから」と思うことで調子に乗らないようにしています。でも最近は人に何かしてもらった時にも「その人がそうしたかっただけだから」と思うので感謝の気持ちがなくなってきました。

また自分が何か望んでないことをせざるを得ない時には「望んでないことをするデメリットとしなかった時のデメリット、それを乗り越えたときに得られるメリットとを比較してメリットが勝ったからするのであって、結局自分のしたいようにしてることには変わりない。」と思うことで悲劇を気取らないようにしています。それが最近は他人に何かお願いしたり嫌な目に合わせてしまった時にも「嫌ならやらなきゃいいし無視すればいい。結局受け入れる方のメリットを取ってるわけですよね?」みたいに思ってしまいがちです。ハラスメントやん。

 

基本的に僕は肯定と否定どちらともとか、できるだけいろんな視点から物事を見ようとしています。それは自分の思い込みや好みに惑わされずにありのままを見るためであったり、「人のふり見て我がふり直せ」的に自分の成長に活かすためです。でも今では多角的に見ることで自分に都合のいい要素だけを採用してることが多い気がします。また「人のふり見て我がふり直せ」と「過去と他人は変えられない」が同居しているため、他人をどうこうする気はなく反面教師の道具としてだけ捉えてるフシもあるっぽいです。他人の失敗は脳内で突くけど自分の失敗は「まあそんなこともあるよね」と思うのもタチが悪い。我がふり見て我がふり直さず。

 

身近な人間の幸不幸に対する興味もどんどん薄くなっています。自分を観察してるとどうもやはり自分はどこか他人を見下していて「自分は特別だからそのために他人が犠牲になることは問題ない」という感覚が存在している気がします。僕は「『人をバカだと思うこと』と『人をバカにすること』とは違う」と思っていますが、こう思うに至ってることがなかなか痛々しいです。僕は実行できているかは別として「自分の能力の最大化」というテーマを持っていますが、そういう自己中心的な向上心が悪い影響を与えているのかもしれません。

一方、こうなってしまったものは仕方ないですし、漫画とかでもそういう唯我独尊な主人公が活躍することもあると思うので、性格の悪さをうまく活かせられたらいいなぁとも思います。また自分の「いい人なところ」とこの辺がどう共存してるのかにも興味があるのでまた考察していきたいです。