読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

隠す側と見つける側

おもしろさの考察

どうも、たけもりです。

悪意がなければいいやって感覚があるのですが、悪意がある場合も悪意があって悪意があるわけじゃないと思うと別にいい気がしてきました。

 

おもしろさの考察シリーズ その4です。

 

僕は「おもしろいな」と思ったときに「おもしろいとして、すごいのか、すごくないのか」ということを評価しようとしがちです。「すごくはないけどおもしろい」が存在するのは確かだと思いますが、「おもしろいと思ったけどちゃんと考えたらすごくはないし、なんならおもしろくもない」ということが多々あるように思います。僕はそういうのを区別したい人です。自分も何かおもしろいことをしたいと思っている場合にはそういった分析は糧になると思っていますし、作品のおもしろさとは別に作者のおもしろさを測る材料になります。

 

例えば曲の歌詞を読み込んで、これは実はこんな意味なんじゃないか、この単語は実は何々のことで...、とか解釈して「すごーい」「深ーい」みたいなのがあるとして、それって本当にすごくて深いんでしょうか。歌詞に隠喩で何らかの意味を込めるのと、それを解釈するのとでは、前者の難易度の方が低いと思います。領域が広大な場合は隠す方が見つけるよりも簡単なので。解釈するのに手間がかかったことで暗喩の価値を買い被ってやいませんか。

 

同じようなもので、物語のいわゆる「伏線」の中にもただ隠してるだけのものがあるように思います。ただ後出ししてるだけのことにおもしろさを見出すのもなんだか不思議なものです。謎を残したままの作品とかもありますが、それはどれほど深いのでしょうか。隠しただけやん。

 

他にも、キャラの裏設定や作者のこだわりなど、後から聴くと何やらすごいことのように思えても、実際には教科書的な行為であったりただの遊びだったりして、実はそんなにすごくないこともあると思います。

 

その婉曲表現に意義なり趣なりがあるならいいのですが、ただ遠回しに隠しただけのものを深読みして凄さを感じるのは勘違いな気がします。たいした内容もないのに、大げさな表現を使うことで理解にちょっと手間をかけさせて、ほら深いでしょって言いたげなものが散見されますが、深くないです。知らんけど。