古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

競争

どうも,たけです.

最高の夏を尻目に僕といいことしませんか?

 

僕は高校時代,部活にはまっていたときは「24時間を睡眠と部活と勉強で埋めよう」と考えていましたし,高校卒業時の受験体験記には「健康的に7時間寝てもあと17時間あるので17時間勉強してないうちはまだいける」みたいなことを書きました.大学になってからは自分もまた怠惰な人間であることを知り,だらだらだらだら過ごしました.研究室に入ってからはその気になって意気込んだ時期もありましたが,そんなものは長続きせず,最近は何かと言い訳しては研究せずに娯楽と怠惰に勤しんでいます.

 

それでも,未だに僕にとって,(広義の)仕事に全てを捧げて何かを成し遂げるというのは理想の世界観の一つです.でも僕が「この人はすごい」と思う高次元の人たちだって結婚もすれば子供も育て,仕事以外のことにたくさんの時間を使ってるようです.もしかして全てを捧げなくても何かを成し遂げることはできるのかい?むしろそっちの方がかっこいいのかい?ということに,最近やっと気が付いてきました.もっとこう,いろんなことのバランスを取って,仕事なんてほどほどに,非生産的な時間の中にこそ幸せがあるのではないか.でもそれを受け入れたとして,極端な僕にはそれが勝利条件の変化なのか,戦闘スタイルの変化なのか,競争から降りるということなのか,よくわかりません.

 

「運動会の徒競走で順位をつけず,最後はみんなで手を繋いでゴールする小学校がある」みたいな話,ありますよね.僕には「ノー残業!みんな17時に帰りましょう!」というのもこれと同じに聞こえます.競争で勝つことを考えるとたくさん仕事した方がいいに決まってるのに,それはしんどいからもうみんなで手を繋いで17時に帰ることにしましょうよと.週末は休みましょうよと.別にいいと思います.仕事のための人生じゃないし.人それぞれのことですから.ライフワークバランス大事です.でもこれは,そういうことですよね.

 

「残業しないといけないのは仕事できない証拠.ほんとに仕事ができる人は残業なんてせずに全部こなせるよ」という意見を聞いたことがありますが,嘘ですね.「1時間に8進む人が10時間働いて成果80」と「1時間に10進む人が8時間働いて成果80」とでは同じ成果です.同じ成果どまりで,より仕事ができたわけじゃない.8時間で済ます人よりも,1時間に10進む上に残業して計10時間働く人の方が仕事できると思いますし,1時間に10進む上に残業して15時間働く人の方がもっと仕事できると思います.

 

高校で部活してたとき,強い選手を見て思いました.強い選手は体力があるのでたくさん練習できます.たくさん練習できるのでもっと強くなります.

受験勉強してて思いました.勉強できる人は問題解くのが速いのでたくさん演習をこなせます.たくさん演習こなすのでどんどん勉強できるようになります.

有能な人間は加速するんです.早くしないと,急いでそっち側にいかないと,どんどん競争に置いていかれる.現実に,自分より有能な人間が無数に存在する.現実に,自分より有能な上に自分より多くを費やしてる人間が無数に存在する.その現実から目を背けながら仕事をさぼる僕のこれは,必要な休息なのか,妥協なのか,思考停止なのか,どれなのか.どれということにするのか.

 

何者かになるには競争に勝たなければならないと思います.何かを成し遂げるには人より抜きんでた力を身につけなければならないと思います.なぜなら大勢にできることに高い価値はないから.何も成し遂げてないことによる匿名性.名乗っても無名.名前すら聞かれない格の差.価値のない名刺.

誰にとっての何者か,何を成し遂げたいのかは人それぞれで,競争の舞台も競技人口も勝利条件も人それぞれだと思います.思うのに,僕はいったいなぜ何を欲しているのか.なぜ何をあきらめていないのか.自己顕示欲.社会的地位.お金.脚光.興奮.上位の世界.圧倒的.おもしろい友人.貴族.

 

そんなことを考えながらも,僕は今日も惰眠をむさぼり漫画を読んでSNSに耽りブログを書くのでした.せめて競争から降りていることを自覚してるだけマシだと言い聞かせながら.