古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

チキンスープ

どうも,たけもりです.

俯瞰的に見ている自分を俯瞰したが最後,再帰による無限ループに陥ります.

 

ここ一ヶ月くらいわりと人生と戦っていて,死にたくなりながら生きていました.特に先週あたりはけっこーやばかったんですが,先日ふと一つの悟りてきなsomethingが降臨して勝利しました.こういう感動的な出来事を文章にして発表するのは無粋な気もしますが,大学生がウユニ湖の写真をInstagramに投稿するような気軽さで書いていこうと思います.

 

何度も書いてますが今のキャンパスはとても寂しいです.僕はうっかりあと5年ここに通うことになったため,2年後同期が卒業したら無収入彼女無し実家暮らしの24歳男性として独りここに取り残されるわけです.そしてそのまま無収入彼女無し実家暮らしの28歳男性になるわけです.今からそのことを憂い恐怖し,焦っていました.まだ間に合ううちに,早く心の拠り所を作らねばならぬと.

 

自分が100%没頭できるほど研究を好きじゃないことに気がついたので,ストイックな研究生活への憧れを捨ててもっと趣味に勤しんだり遊んだりしようと考えました.気晴らし性能を考えるとそれはキャンパス外に必要です.ストイックへの憧れも捨てきれないため罪悪感が伴いますし,漫画を読んでもサークルに行っても「かりそめ感」がぬぐえませんでしたが,焦る僕は慣れることを信じてとにかく外の世界に救いを求めていたんです.まずはプライドを捨てて人を頼ってみようと.

そうしたときに,新しい人間関係を構築する気力など持たない僕には既存の人間関係に依存するという選択肢しかありません.しかし僕にとっては冷凍保存した新鮮な過去の親しさは,成長した相手から見てもそうとは限らぬわけです.こじらせた僕が一方的に相手を頼ることで本来保存できたはずの良き関係を破壊してしまう危険性にも僕はまた恐怖します(実際に慕ってくれてた後輩や元カノに慰めてもらおうと連絡した後これに気づいて死にたくなった).

また現実拡張作戦 を考えたときは「サークル行くぞー」ってなってましたが,それもすぐに怪しくなりました.サークルの人たちはくそ優しいので受け入れてくれると思うのですが,その情けを僕が受け入れられるかどうか.卒業後に寂しさのあまりキャンパスを越えてまで後輩に構ってもらいに行くのは老害っぽいしださいなって思っちゃうんです.「サークルなんて行く暇無いよ」ってのがかっこいいと思ってる.保存するか依存するか,どうせ過去に生きるならせめて自分の築いてきた印象を保存した方がマシなのではないか,この選択肢ができたことで身動きが取れなくなりました.

 

そうやって暗い気持ちになっていましたし,とにかくキャンパス外に何かを求めていたため,キャンパス内のコミュニティを無下にしていました.うちの研究室は学年ごとに誘い合って昼食に行く習慣があるのですが,それもなんとなく避けてました.僕はそれどころではないのだもの.

 

そんなこんなで,学校に行っても研究室を出てひたすら散歩したり,公園でぼーっとしたりするようになり,これはいよいよ何とかしないといけないなと思ってたころ,ふと,来た.理解したんです.

 

僕はJ・D・サリンジャー作,野崎考訳の「フラニーとゾーイー」という本に多大なる影響を受けています.3週間ほど前に読み返していた(そのときにレビューてきなものをここに書いたのですが恥ずかしくなって消してしまった)ので記憶に新しかったこともあり,またこの本に救われました.

この本は病んじゃったフラニーとその兄ゾーイーとの対話が中心で,最後には愛に溢れた衝撃的で目から水晶体がこぼれ落ち痺れるようなクライマックスを迎えるのですが,その話の中で「チキンスープ」というものが出てきます.フラニーは母ベシーが作るチキンスープを「チーズバーガーが食べたい」とか言って拒否し続けちゃうんですが,ゾーイーはこれを「君はなんにもわかっちゃいない」とかなんとか批難するんです.4年ほど前に初めてこの本を読んで,その後も何度も読み返してきましたが,この「チキンスープ」の意味を,なんと,ついに,(今の僕なりのものとして,)理解したんです.

 

後輩が「来て下さいよー」って言ってくれるサークルも,研究室の友人に誘われる昼食も,そういう僕に出欠の選択を許されたあらゆる人間性回復の場は,すべて神から差し出されたチキンスープだったのだと!!

どっひゃ~~~~~~~~!!

 

ならばおいしくいただこうではないか!!

 

はい,解消.

ん,いや,解消したのかな?

2年後への恐怖が消えたわけではないけれど,焦りは吹きとんだか.じゃあ解消.

 

また一つ強くなってしまった.