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古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

啓蒙

どうも,たけもりです.

幸せを諦めたらそこで人生終了だよ.

 

今日のは論理や筋を通すつもりはなく,ただ思ったことを書くスタイルです.

最近よくTwitterとかで「若者は選挙に行こう」てきな発言をよく見ます.僕は生まれつき政治に興味がなくて,今までも政治の事やいつ選挙があるかとか選挙制度のこととか良く知りません.まだ13歳ですしね.これは政治を良くすることを考えると良くないことだと思います.ほんとにダメなやつですよ.はい.僕は今,自分の非を認めました.ここからは自分の非を認めた上で,ある仮説を述べます.

 

「政治に興味を持ってほしい」という主張,これはわからなくはないです.でも「投票に行ってほしい」はよくわかりません.投票に行く程度の興味すらない人間の意見を政治に反映させてどうするんだろう.それによって達成されるのは「若者向けの政治」ではなく「政治に興味のない若者に投票されやすい政治」ではないだろうかってひねくれます.この話は以前の記事でしました.

 

将棋に興味のない人間に将棋に興味を持ってほしいって言ったって,持ちます?

将棋に若者が参加することで将棋がもっと若者に親しみやすいものになるって言われたって,それって自分は将棋に無関係だと思ってる人からしたらメリットにならないと思うんです.やはり物質的な損得に訴えかけるしかない.これも前書いた

 

啓蒙しようとするような人はそもそも啓蒙しようと思うくらいモチベーションが高い人です.そして啓蒙って上からっちゃ上からなので,気持ちよさが伴うと思います.このブログの僕の記事も読者を啓蒙してやろうという高慢な下心があることを隠せていませんが,そんなことは考えるのが好きでこのブログを読む体力があってそもそも僕と意見が合いやすい人だけを相手にしています.そしてそうであることが優れた性質だとは思っていません.僕自身はその完璧主義的発想や考えすぎで苦しい時が多々あるからです.啓蒙することの気持ちよさに呑まれて,そもそもそれが相手のためになるのかどうかを見失うのは危険です.僕はみんな自意識に苛まれて幸福感がマヒすればいいのにと思いながらこのブログを書いています.

 

啓蒙的発言を聞いて,それで啓蒙される人が一人でもいるなら啓蒙の価値はあります.啓蒙されない人は最初からいないのと一緒なので,その失敗はなんのマイナスにもなりません.なので啓蒙したい人がどんどこ啓蒙に挑戦することは元気でいいと思います.ただ僕はどちらかといえば反抗期側の人間で,気を許してない人から何かを要求されることをものすごく不快に感じる病なので,無視したくなります.無視したくなったはずなのに,無視せずにブログを書いてしまいました.もう素直に投票所いこうかな.でもそれに向けて何かを調べる程度の興味もないのもたしか.そうすると特定の政党を支持してないとき用のあれはやっぱ近代的ですごいのかなって思ったり.知らんけど.

 

「啓蒙」というタイトルで書くとあらゆる文言が啓蒙目的に見えなくもないですが,そんなことはなく,僕はありのままのあなたを愛しています.