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古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

エリート意識

どうも,たけもりです.
僕の女性の好みを挙げていくと空集合ができあがるらしいです.
 
前回のざわの記事を読んで,僕の憂鬱が喩えの感じまで含めてそんな感じだったので,書きたいと思います.交換日記みたいできもいなと思いつつ.
 
僕は漫画が好きでよく「漫画基準の思考」で自己分析します.「今の自分の言動や心理は漫画に登場した場合に "いいやつ” なのか "嫌なやつ” なのか」とか,「主人公ならどうするか」とか.自分を客観視するときに漫画的にかっこいいかどうかで見るんです.
漫画の中で「エリート」は嫌なやつに描かれがちな印象があります.嫌なやつではなくても「本当に大切なことをわかっていない」せいで最終的に主人公に負けるとか.僕は自分がそういう噛ませ犬なエリートになろうとしてる気がしてなりません.
 
僕は博士課程に進学することが決まっていて,それはざわと同じ感じで何かを極めたいからです.僕の言葉で言えば「自分の絶対値を高めたい」になります.絶対値を高めるためには自分に向いてることをするのがよさそうなので,そうするようにしています.「好きこそものの上手なれ」ということか僕は幸運にも好きなことと向いてることが一致していて,大学院での研究も,このブログも,好きだし向いてると思ってるからやっています.
 
これは同時に「自分に向いていないことは無駄」ということになります.やるべきこと以外はやるべきでないこと,その二択なんです.
  • 友達と遊んだところで進捗はないと思うと遊べない.遊びたいけど.
  • 彼女いたところで進捗はないと思うと行動おこせない.彼女ほしいけど.
  • 何かを見て刹那的な感動を得たところで学びが無ければ何も残らない.学びのない感動(例:わー!花火きれい!)は不毛.感動したいけど.
  • 楽しいことをしたところで楽しいことが終わったら楽しくなくなるわけで,何も残らない,不毛.楽しいことしたいけど.
という感じで,まじで不毛だと思ってる僕が僕の行動を厳しく制限します.それで何かを為そうとしてるわけじゃないのなら,それに費やす時間もお金も、無駄じゃないですか.でも怠惰な僕もがっつりいるので,ストイックな僕が遊びを阻止して作った時間を結局怠惰に寂しく過ごすんです.これこそ不毛.あとさすがに日々をもう少し彩りたくて積極的な休息も取るんですが,どうせなら作品を享受して血肉とすべきだと思って好きで向いてる漫画を読むようにしています.漫画を読むにも言い訳が必要.神々しい友達が誘ってくれたり組織的なイベントであれば「誘われたから」という免罪符があるので遊べます.どうぞ.
 
でもまぁいいこともあって,他を捨ててるだけあって研究の取り組みはわりと順調です.こっちだけ見れば僕はわりとエリートな感じです.そんな僕のエリート風なところを認めてくれる人はいますし,僕もそれは自信になっています.でもなんだかおかしい.思ってたのと違う.いったいどうして,この程度の!幸福感なのだ!!
 
あ! この感じ,漫画に出てくる心の貧しいエリートだ!!!
 
 
いろんなことを覚えて,鞭のように鋭い切れ者になったって,それで仕合わせになれなかったら,一体何の甲斐があるんだろ.(「フラニーとゾーイーJ・D・サリンジャー 野崎孝訳) 

 

そもそも「幸せになること」が目的で「絶対値を高めること」は手段の1つに過ぎないというのに,いつの間にか手段が目的化していたのでした.
一時期は野心を頼ってみてたこともあるのですが,野心を満たしたところでそこにあるのは一時的な高揚感であり幸福感ではなさそうだなって冷めました.どうやら僕は刹那的な幸福感の積み重ねを幸福だと捉えられていないんです.刹那的でない幸福なんてあるのだろうか.
 
まぁね,そんな僕のこと,嫌いじゃないんですけどね.不器用でかわいくないですか?
 
僕はもう僕に洗脳されていて,今更引き返せません.なりふり構わず,前だけを見てないと,圧倒的にはなれないと思うしかないんです.ありきたりでない僕がありきたりの幸せをありきたりに享受してどうするんだというエリート意識が,僕を支えてるんです.
またこうも思う.自分に向いてることをするというのは,才能のレールに乗って進んでるだけであり,そこを進む才能もまた用意されたものに過ぎないと思うと,なんか,わりとしょーもないな.