古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

極める

ざわです。この前のたけもりのブログでおもしろさの偏差値理論が僕に刺さりすぎて寝込んでました。俺の持てないネタは偏差値30...。でも偏差値70のもてまくるネタ聞いてもイラッとするだけだろうな。偏差値が低いのは笑いになるけど、高いのは興味深いになりそうだな。となんとなく考えていました。

 

最近というか今日から博士課程においてお金を得るための申請書を書き始めました。何かを極めるってかっこいいなという漠然とした気持ちが根底にあって博士課程に進学しようかなと考えてました。極めるのがかっこいいという価値観や極めることを否定したことがなかったのでここで否定してみようと思います。

 

極めるのがかっこいいという価値観は僕の場合漫画で養われたように思います。ジャンプとかの。ジャンプとかにこの価値観を養われたので、極めるというより一番がすごいという価値観に近いと思います。ジャンプの特にスポ根系の漫画って熱くてかっこいいですよね。だからと言って何かを極めることを目指すのはジャンプに操られる人形じゃない?

それに一番を目指すってコスパ悪いですよね。もし一番を目指す人が同じ競技に10000人いるとして、その中で達成できるのって一人なんです。コスパ悪いというか見返り帰ってくる確率低いですね。スポーツ勝てなくとも楽しいしそれじゃダメなのかな。

 

極めることがかっこいいとしても、極めなくても幸せになれるならそっちを選んでもよくない?とも思います。

極める過程において何かを犠牲にするのをたまに見ますが、極めることによって得られる幸せがちゃんと捨てたものを上回っているのか気になります。勉強や研究、練習に費やす時間をゲームや遊び、旅行に費やしたほうが幸せじゃないのかな?極めることが幸せに対して持つコスパが気になります。

 

このまま博士過程に進学しちゃうと本当にただのお人形になっちゃうな。この価値観を疑ったからといって、あいもかわらず僕は幸せになりたいという気持ちに操られるお人形さんなんだけど。