古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

京大生

どうも、たけです。
100万人に10人の逸材
 
前回のざわの記事に触発されました単純に身近なので「京大生」についてはたまに考えるのですが、よく聞く「京大生像」というのは幻想だと思います。
まずガリ勉は多いですが変人奇人が特別多いとは思いません。友達はおもしろいし大好きですが、それは京大生的が故というわけではないです。僕は交友関係狭いので特別おもしろい人がいるのを知らないだけかもしれないし、他の大学のことを知らないので比較もできません。なのでこういう細かいことにはやっぱり言及せずに、有名どころを攻めてみようと思います。
 
折田先生像が伝統化、あるいは実質公認された時点でそこに折田先生像的価値はないと思います。自由や革新的なことの象徴的な感じで愛でられてたはずのものが、今や逆に伝統の保守になってやいませんか。進化の余地はまだまだあると思います。キャラを変えるだけで同じことの繰り返しでは、もはやダメな例でしょう。像自体をもっと工夫するか、さらに第三者がいたずらをするなどが求められます。
 
・卒業式のコスプレ
質が低いと思います。やることに意義があるとは思いますが、ゴシップやネットスラング的な内輪ネタ、時事ネタを気取ったコピペのようなネタに、なんのインテリも、独創性も感じません。楽しい感じになるのは楽しくていいので誰かがやってくれるのはありがたいことですが、おもしろくないのに「さすが京大www」みたいになるのを見るともやもやします。
 
1回生の時しか行ってないので中身には言及しませんが、少なくともテーマがいまいちです。昔のテーマならよかったのかというと別にそういうわけでもないのですが。
1992「人が右なら 私は左」
2002「総長! 京都を占拠致しました!」
2006「溢れる才能の無駄使い」
2009「失った常識のかわりに」
なんかは僕の思う京大的テーマです。
とにもかくにも2015年のテーマ「ばっかお前…俺がついてるだろ!」は終わってます。インターネット的なネタらしく独創性が皆無であるし、そもそもがおもしろくない。その価値は「ネットの一部で流行ってる」ということでしかないし、自分の言葉でおもしろいこと言えない人が冗談言えた気になれるとかそういうものです。それに価値を感じるのは「ネットで流行ってることをおもしろいと思うことがハイセンスであると思ってる人」だけだと思います。これに関しては投票所に行かなければ投票できないことも一因かと思います。投票がめんどくさいので、「統一テーマ候補くそわろたwwwこれに入れたったwww」みたいな人しかわざわざ投票しに行かないのではないかという偏見を持ってます。
 
・寮
あまり詳しくは知りませんが、寮の異常性はたしかにおもしろいです。大人の管理がない自治寮というのは素敵です。日常生活とか覗けたらいろいろ学びがありそうです。
ただイベントはどうか。時計台に登るのは毎年やってるのでもう新しいおもしろさはないです。警察をおちょくろうとするのはヤンキーごっこかと思います。街に繰り出して運動会するのは、だめです。あくまで学生はキャンパスの内側でのみ多少の無茶が黙認される守られた存在であることを自覚すべきだと思います。「寮」と一括りにするのは良くないと思いますが、批判の対象を曖昧にしておくという自己防衛策です。
 
まとめ。
長い歴史の中でたまにいた特殊な人たちが残したエピソードにあやかってるだけのパターンが多いと思います。
また、おもしろくないのに「京大生がやった」ということによっておもしろいことかのように扱われる現象も目立ちます。その多くは「ガリ勉っぽくない」ってだけです。これは得なことではあるので利用できる場面では利用したらいいとは思いますが、僕はそれが自分の実力だと勘違いして調子に乗らないように気をつけようと思います。
さらに言えば京大生ばかりの京大において京大生的おもしろさにあやかるのは大衆に呑まれてることになるので京大生的おもしろさではない気がします。そこにもう新しさはないのでは?
結局また実力の在り処的な話でした僕は真面目に研究して圧倒的パンチ力を身に付けたいです。
 
今回は嫌味ばかり言いましたが僕は京大の感じ好きですし研究室で京大マグカップ使ってますでは。