古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

京大卒の専業主婦について思うこと。

ざわです。最近壁と良く会話してます。僕が話しかけるとめっちゃ勢いよく「どんっ」って言ってくれます。

 

京大卒で専業主婦になった人のブログがこの前バズっていてそれについて思うことがあったのでここに記そうと思います。

結論としては「別にいいけどそれを悪びれずに書くな」です。

 

まず初めに、賢い人は同意、嫉妬深い人は批判という構図に落とし込んでいることが気に入りませんでした。批判することによって、嫉妬深い人にカテゴライズされてしまいます。まともに批判を受け入れる気がある人がすることではないですよね。まあストレスたまってたみたいなんで同意が欲しかったんでしょうね。

 

でも何よりも腹が立ったのはこの人が大学の存在の意義について全く言及しておらず、自分のことしか考えていなさそうなところです。大学特に京大のような国立大学法人は優秀な学生を入学試験によって選別し、優秀な研究者を雇い、多くの知が集積する場であり、国から税金を投資されて教育施設、研究施設として運営されています。大学は優秀な人や研究結果を社会に還元することを目的にしているはずです。

このブログの著者は子育てを社会貢献としていました。確かに子育ては社会貢献でしょう。しかしその社会貢献は大学に行っていないとできなかったものなのでしょうか。

 

この著者だけでなく受験という制度のせいか入学は勝ち取った権利とみなしている人が散見されますが、その前に大学で教育を受けられるのは国民の税金が投資され、大学を維持向上させていこうと努力してきた人があってこそのはずです。確かに勝ち取ったものでもありますがその前に与えられたものなのです。

そしてその場所で国民の税金を投入して教育を受けたということは、それ相応の暗黙の義務「ノブレス・オブリージュ」のようなものが発生するはずです。それを果たせなかった場合、大学の存在は危ぶまれます。例えば、京大卒業生が全員結婚して子育てに専念した場合、京大は今ほど税金を投入されることはおそらくないですよね。

この著者は結果的に大学に寄生していたことになります。

ブログ中で述べられていたように社会貢献が何かという問題は確かに難しいです。しかしそれは自分で考えないといけない問題だと思います。

 

まあ自分の人生をいかに生きるかは自由ですが、自分の行動が大学の衰退に一役買ってることに関してはこのブログの著者に自覚的になってほしいです。