寝癖
どうも,たけです.
ん?寝癖ついてるって? ああ,そうなんです.寝癖,直してないんです.正確には言えば,寝癖を完全には直してないんです.
僕は現在大学院1年生で,基本的に研究室と家とを往復するだけの生活をしています.所属する専攻の女子率は5%程度で,今のキャンパスの周りには山しかなくサークル活動などもありません.1年通って,僕は気がついたんです.
「あれ,寝癖直す必要なくない?」
いったい僕は誰にかっこよく見てもらいたくて寝癖を直していたのか.あまりに無駄,恥ずかしいくらいです.院生にもなって,研究しに行くのに,未だに見た目を飾るのに時間,脳を使ってるなんてかっこ悪いったらありゃしまへんで.
こうして僕の「寝癖直さない生活」が始まって早2週間が経ちました.朝の手間が一つ減り,登校時間は早くなり,デトックスしたような晴れやかな気持ちで生活できるかに思われたのですが,再び僕は気がついたんです.
「 "いい感じの寝癖” になってるか,めっちゃ気になる・・・!」
「つい "いい感じの寝癖” にしようとアレンジを試みてしまう・・・!」
寝癖を直してた時よりもはるかに強く寝癖に心奪われてました.僕は寝癖を気にしないことにしたつもりが,実は「この人は私が支えてあげないとダメなんだと思わせるようなだらしなくもそこがなんともかっこいい寝癖」をごりごりに目指していたのでした.人目とかめちゃめちゃ気にしてますし,トイレで鏡見たときに寝癖がまじでただの寝癖だと普通に後悔します.もっと母性本能をくすぐるアンニュイな寝癖に落ち着いてはくれないものか.
「かっこ悪くても気にしない」というのは気にしてる人の思考です.本当に気にしない人はそもそも「かっこ悪い」という概念に思い至ることはなく,わざわざ気にしない必要がないからです.
僕は「かっこつけるのはかっこよくない」派なので,かっこつけないことでかっこつけようとするのですが,それってかっこつけてますよね.この派閥の人間が真にかっこよくなるためには少なくとも「かっこつけるという概念」を,さらには「かっこよさという概念」さえも忘れる必要があります.無関心の果てに真のかっこよさがあるのです.むずかしいっ!
寝癖なんてほっとけという理性と,それでも気にしてしまう感性と.
直すか直すまいか.僕はこれからどうすればいいのだろうか.このままでは直さずに且つ気にする生活を続けることになります.自力での解決が困難となれば専門家に頼る他なし.今度散髪に行った時は「いい感じに寝癖がつくようにお願いします.」と注文することにします.
しかし理性が言う.
「美容院に行って髪の毛整えて何になる? その時間とお金でもっと有意義なことができるだろう.いっそのこと坊主にすれば楽ではないか.かっこつけない人間ならそうするよ?」
そして感性が苦しむ.
「僕は・・・僕はそれをっ! 捨てられないっ・・・!!」