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古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

似非科学

ざわです。

水素水なる似非科学らしいものが最近話題になっているようですね。

このような似非科学らしいものを結構馬鹿にする人が多くて驚いています。私は正直騙されない自信がありません。その理由は以下の2点です。

 

・かもしれない運転をしすぎている

・科学の整合性を自分が確認しきれていない

 

まず1点目について。運転免許証をお持ちの方には有名な「かもしれない運転」、これは事故が起こらないように常にあらゆる可能性を考慮し安全な運転を推奨する標語です。このようなかもしれない運転を、私は似非科学らしいものにも適応しすぎてるわけです。かもしれない運転を突き進めれば常に徐行運転しかできないように、かもしれないと考えすぎるとすべての論理があり得るように思えます。水素水において

3H2O → H6O + O2

という化学反応式を見てもそういう反応も起こり得るかもしれないなと感じてしまうのです。

この1点目は要は疑う基準をどこに置くかの問題であり、適切な基準を設ければ回避できそうです。しかし私には適切な基準を見つけられませんでした。なぜなら2点目にあるように科学の整合性を自分で確認できてないからです。

 

では二点目について。自分の中で現在科学として認められているものは小中高大で勉強した内容であり、教科書に載っていたという点でその正しさが担保されています。本来化学は実験や公理に基づいて発展したものなのに自分の中ではそれらが抜け落ちています。どうやら私にとって科学と似非科学らしきものは教科書に載っていたかどうか程度の違いしかなさそうです。教科書もチラシも一次ソースではない点では同じであり、その二媒体の差は皆が教科書を信じている、または出版社を信じているかどうかの差でしかありません。水素水が教科書に載っていたら、私はそれを信じてしまっていたわけです。私は科学に対する信頼の根拠を科学自体に置けていませんでした。私にとってはいまも「科学」は「科学らしいもの」にすぎず、「似非科学」は依然として「似非科学らしいもの」のままです。

 

似非科学らしいものによって科学について考えさせられた・・・

 

最後に一言。似非科学らしいものをいくら科学を心得ている人が否定できても、狙われているのは科学を心得てない人なのであまり意味はないのも似非科学の難しいところですね。