古代都市ツボクラ

よく食べ よく眠り よく考える,難ある男二人の備忘録

理解

ざわです。

大学の卒業が迫り、4年間の日々を振り返ることが多くなりました。この4年間で一番悩んだテーマは、「勉強とはなにか、理解するとはどういうことなのか」です。高校時代に問題が解けることを理解と定義していた私にとって、答えや解説が巻末に搭載されていない教科書を用いるのは苦痛でした。この苦痛を解決するために「勉強とはなにか、理解とはどういうことなのか」について考え始めたのです。

 

4年間の思索によって一番変わったのは「理解」のモデルです。理解とは自分の中にない考えや現象を自分の中に取り込むことだと考えていました。しかし最近では理解しようとする対象は既に自分の中にあり、自分の中にあるその対象を明確化、体系化することが「理解」だと考えるようになりました。例えば、1,2などの数について理解するとき、教科書などから数を自分の中に取り込むのではなく、既に自分の中に存在する数らしきものが教科書などの助けによって明確に数として定義されるのではないのでしょうか。イメージとしてはぼやけて見えていた世界が、ピントを調節することにより明確に見える感じです。

 

皆さんの理解のモデルはどんな感じなのでしょうか?